「方丈記」の名言まとめ

マンガ「方丈記(鴨長明)」の名言をまとめていきます。

 

方丈記

第一章

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中のある人とすみかと、またかくのごとし。

 

朝死ぬ人がいれば、夜に生まれて来る人もいる。
人間の一生は水の泡のようにはかない。

 

人もすみかも生まれては死に、造られては壊され無常を競いあう。
それはまるで朝顔と露の関係に似ている。

 

露が先に落ちて花が残っても朝日が上れば枯れ、花が先にしぼんでも露は夕方までもたない。
人と家と同じように、花と露も無常を競いあう。

 

第二章

(火事で)数十人が死に、失われた馬や牛の類は数知れず。
昨日まであったものがあっけなく消えてしまう。
それがたとえ高貴な人でも、立派な建物でも。

 

人が行うことはそのほとんどが愚かなことだが、こんな危ない京の街中に家をつくって、
いろいろと気をつかうのは、特に愚かなことだ。

 

京という街で、人は無常を繰り返す──

 

人の命はなんとはかないものだろうか。
街も人も永遠ではないのだ。

 

第四章

恐ろしかったのは、天からの災いだけではなかった。
人がもたらした災いも悲惨だったな…

 

たしかに(馬は便利)。しかし便利なだけでは雅ではないな…
ただただ利便性だけ追っていて何になろう。

 

牛車には趣があって私は好きだ。
あれでは都の人間らしくない。

 

風俗の急変は世の乱れる前兆だと、ものの本にも書いてあった。
その言葉通り、日が経つにつれ世の中全体が落ち着きを失い、人の心も不穏になる。

 

(仁徳天皇は)民を恵み、世を良くしようとなさっていた。
しかし今の世はどうだろう。思いつきのような政策で民は振り回され、なんと悲しいことか…

 

第五章

──濁悪世(じょくあくせ)
道徳が乱れ、仏法が衰えた時代のことをいう。

 

そむくべき 憂き世にまどふ 心かな
子を思ふ道は あはれなりけり

 

人生とはどうなるか…予想もつかないことばかりだ。

 

第六章

──地震の直後、人々は失った物や人の命のはかなさを口々に言いあっていたが、
時が経つにつれ過去の災害の悲惨さも風化し、
欲望のまま何事もなかったかのように暮らしている。

 

あれだけ悲惨な状況だったにもかかわらず…時が経てば口に出す者もいなくなるのだ──

 

第七章

すべて、世の中のありにくく、わが身とすみかとの、はかなく、
あだなるさま、また、かくのごとし。

 

いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心をなやます事は、あげてかぞふべからず。

 

この世はとても生きづらく、富と権力がある者は欲深くなり、
誰ともつながりを持たず孤立している者は人に軽んじられる。

 

財産があれば失わぬかと心配し、貧乏ならば恨み心が強い。

 

人にすがれば自由を失い、この身は他人の所有物同然となり、
人に尽くし愛情を注げば、その愛に執着が生まれる。

 

世のしきたりに随(したが)えば身動きが取れなくなり、随わなければ狂人と見られよう。

 

どんな所に住み、どんなことをすれば、
この人生が穏やかで心を休めることができるのだろう──

 

第八章

見ればまず いとど涙ぞもろ蔓(かつら) いかに契りてかけ離れん

 

第九章

私の芸は拙いが、人を喜ばせるためでなし。
好きに演奏し、好きに和歌を詠み、ひとりで楽しむのみ──

 

春夏秋冬朝昼晩…この山には情緒があって飽きることがない。
都とはまた違った穏やかな生活がある。

 

ものを知れば知るほど、世界は味わい深くなる。
なんと素晴らしいことだろうか。

 

第十章

ヤドカリが小さな貝を好むのは、自分の生き方をわきまえているから。
ミサゴが荒磯にいるのは、人間から身を守るため。

 

私も同じで自分をわきまえ世間を知ったので、多くを求めずあくせくもしない。
心配事がなく、ただ穏やかでいることを望む。

 

住まいについて言えば──世間の人は必ずしも、自分のために住まいを作ってはいない。

 

このような(質素な)暮らしの楽しみを、誰かにすすめているわけではない。
ただ私自身の経験で、昔と今を比べているだけなのだ──

 

世を逃れ身を捨ててからは、恨みも恐れもなくなった。
全てを天運にまかせ、命を惜しまず死も恐れず。

 

もうあとは、うたた寝のように穏やかに死ねたら──
今までに見た美しい風景が心に残れば充分だ。

 

第十一章

もし私の言うことを疑う人がいたら、魚や鳥の生き方を思えばいい。

 

魚は水の中に棲み、水に飽きることはないが、魚でなければその心は分からない。
鳥は都でなく林を求めるが、鳥でなければその心は分からない。

 

閑居の良さもこれと同じだ。
住まない人にその心がどうして分かるだろうか──

 

仏の教えに従うなら──何事にも執着心を持つなというのに、
この草庵を愛するのも、閑寂をよしとするのも、結局は執着の一種なのではなかろうか…

 

…であれば、役にも立たぬことを述べるのも、むなしいことなのかもしれないな…

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 
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