「この世界の片隅に」北條すず(旧姓:浦野)の名言・台詞まとめ

アニメ映画「この世界の片隅に」北條すず(旧姓:浦野)の名言・台詞をまとめていきます。
(長尺バージョン「この世界のさらにいくつもの片隅に」で編集)

この世界の片隅に

昭和8年12月

「うちはぼーっとしとるけえ」
「じゃけ、あの日のこともきっと昼間見た夢じゃったに違いない」

 

昭和10年8月

「いろいろあるが、ほいでも子供でおるんも悪うはない」
いろんなもんが見えてくる気がする」

 

「”そいつは学校の先生が言うてじゃった、座敷わらしに違いない”」
「お兄ちゃんがほう言うたその夕方、景色も人も優しゅうかすんで見えた」

 

昭和13年2月

「う~む…”水原を見たら全速力で逃げえ”いう女子のおきてを忘れとったわい」

 

昭和18年12月

「うちは大人になるらしい」

 

「ええ話かどうかは分からんかったけど」
口ん中にキャラメルの味、広がった気がしたんは、なんでじゃったんじゃろう」

 

「困ったねえ」
「”嫌なら断わりゃええ”言われても、嫌かどうかも分からん人じゃったねえ」

 

昭和19年2月

「うちは一体、どこへ来たんじゃろう」

 

「あの…うちらどこかで先(せん)に会いましたか?」

 

「こんとなんが、うちの毎日になった」

昭和19年3月

「わあ、モガだったんですね、お義姉さん」

 

昭和19年5月

「ご飯の支度と思うた時には、配給がだいぶ減っとった」
「いわしの干物4匹で、一家4人の3食分」

 

「まあ菜っ葉だけの日よりましではあるし」
「こけえ並んどったら、そのうち卯の花も買えるじゃろ」

 

「お米の配給が半分しかのうて」
「お芋の多いおかゆさんで」

 

「ほいでも明日は任してつかあさい」
「忠臣楠木公が籠城に耐ゆるため、発明したる食糧増量の法」

 

昭和19年7月

「素直に笑えんのは、うちだけか」

 

昭和19年8月

「戦争しよってもセミは鳴く、チョウチョも飛ぶ」

 

「(配給停止?) ありゃ、お砂糖もかね」

 

「6月の空襲騒ぎの時はもう、すぐ目の前にやって来るか思うた戦争じゃけど」
「今はどこでどうしとるんじゃろう」

 

「(市場) はあ~なんでもある」
「戦争前の夏休みみたいじゃねえ」

 

「は…配給の50倍以上?」
「そんとな国で、生きていけるんかね」

 

昭和19年9月

「しみじみニヤニヤしとるんじゃ」

 

「昔、知っとった人に今おうたら」
「夢から覚めるとでも思うんじゃろうか? うちゃ」

 

「今覚めたら面白うない」
「今のがほんまのうちなら、ええ思うんです」

 

「(ご懐妊?) と思うたら…」
「栄養不足と環境の変化で、月の巡りが悪いだけなんと」

 

「そりゃまあ、(お産は)怖いことは怖いけど」

 

「いやほいでも、男の人は戦地で命懸けじゃ」
「うん、こっちも義務を果たさんと」

 

「出来のええ跡取り残すんが、嫁の義務じゃろ」

 

「(男が産まれるとは?) う~ん…産まれるまで産むんじゃろう」

 

「(出来がええとも?) 予備に多めに産むんじゃろう」

 

「なんか悩むんがアホらしうなってきた」

昭和19年10月

「夢でないのは…分かったよ」
「それでもこの毎日は続いとる」

 

昭和19年11月

「代用品のこと考えすぎて、疲れただけ」

 

昭和19年12月

「水原さん」
「うちはずっとこういう日を待ちよった気がする」

 

「こうしてあんたが来てくれて…こんなにそばにおってのに」
「うちは!」

 

「ほんまにうちはあん人に腹が立って仕方がない」
「ごめん…ほんまにごめん」

 

「ほんまに…こまい頃からあんたには、肝心なことが言えん癖がついとんじゃもん」

 

昭和20年2月

「じゃけど骨の代わりがあげな石ころ1つとは」

 

「あんまり小さいんで、すみちゃんなんか…」
「”鬼いちゃんの脳みそ?”…と間違えたくらいじゃ」

 

「あっけのう人はおらんようになる」
「姿が見えんようになれば、もう言葉は届かん」

 

「こないだは、ありがとうございました」
「水原さんと話する時間もろうて」

 

「ほいでも周作さん、夫婦ってそんなもんですか?」

 

「うちは…いまだに苦いよ」

 

「あんな大砲の音にはもう脅かされんけど」
「周作さん…うちは何1つリンさんにはかなわん気がするよ」

昭和20年3月19日

「(飛行機による攻撃) 今ここに絵の具があれば」
「…って、うちは何を考えてしもうとるんじゃ」

 

昭和20年4月3日

「いけん」
「周作さんここへ呼んでリンさんと会うたら…」

 

「分からん」
「目の前でイチャイチャ仲ようされても困るし…」

 

「2人さめざめ泣かれでもしたらもっと困るし」

 

「うちは1人じゃないのがええな」

 

昭和20年5月5日

「うち、あんたが好きです」
「ほいでも三月(みつき)も会わんかったら、顔も忘れてしまうかもしれん」

 

「じゃけえ、この家で待っとります」
「この家におらんと、周作さんを見つけられんかもしれんもん」

 

昭和20年6月21日

「(瀬戸内海も?) ほいじゃ、波のウサギももう…」

 

「左手に風呂敷包み、右手に晴美さん」
「反対じゃったらよかったのに…」

 

昭和20年6月28日

「この家はなんともなかったんですね」
「よかった」

 

「嘘だ」
「あの人、家を壊してもらえて、堂々この街を出て行けたんじゃろうか」

 

昭和20年7月1日

「よかった…よかった…よかった」
「どこがどうよかったんか、うちにはさっぱり分からん」

 

「ゆがんどる」
「鬼いちゃんが死んでよかったと思うとる」

 

「ゆがんどるのは、うちだ」
「左手で描いた絵みたいに」

昭和20年8月9日

「うちも強うなりたいよ、優しゅうしぶとうなりたいよ」
この町の人らみたいに」

 

「ああ、うるさいね」
「そんとな暴力に屈するもんかね」

 

「なんでも使うて暮らし続けるのが、うちらの戦いですけえ」

 

昭和20年8月15日

「(かなわん?) そんなん覚悟の上じゃないんかね」
「最後の1人まで戦うんじゃなかったんかね」

 

「今ここへまだ5人おるのに」
「まだ左手も両足も残っとるのに」

 

「飛び去っていく、うちらのこれまでが」

 

「それでいいと思ってきたものが」
「だがら我慢しようと思ってきたその理由が」

 

「ああ…海の向こうから来たお米・大豆」
「そんなもんで出来とるんじゃなあ、うちは」

 

「じゃけ、暴力にも屈せんとならんのかね」
「ああ…なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったなあ」

 

昭和20年9月17日

「戦争でのうても、人は亡くなる」

 

昭和20年10月6日

「ああ…こげなとき両手があれば、この人の不安な手にそっと片手を重ねられるのに」

 

「リンさんは知っとる? この町へ連れて来られる前に逃げ出して」
「人ん家(ち)の屋根裏にかくまってもろうた子がおったの」

 

「うちは、そういう子と出会うたことがあるんよ」

 

「死んだら心の底の秘密も、みんななかったことになる」

 

「ごめんなさい」
「リンさんのこと、秘密じゃなくしてしもうた」

 

「でも…これはこれで、贅沢な気がするよ」

 

昭和20年11月

「(なんの行列?) さあ、なんでもええですよ」
「なんでも足らんのですけえ」

 

「晴美さんはよう笑うてじゃし」
「晴美さんのことは笑うて思い出してあげよう思います」

 

「この先ずっと、うちは笑顔の入れ物なんです」

 

昭和21年1月

「周作さん、ありがとう」
「この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」

 

「ほんでもう離れんで、ずっとそばにおって下さい」

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 
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